みなさん、こんばんわ。
藤ととちゃんです。
今回は人のココロの成長を垣間見る瞬間の話です。
そう、子供の成長を見守る親なら必ず聞いたことのある我が子の叫び
「ずるい!!」
だれしも言ったことのある言葉「ずるい」
今でもよく使う言葉かもしれない「ずるい」
その「ずるい」は健全な心理で育ちの証なんですよ。
もくじ
「ずるい」を発信する時期はこのくらい?
かなり個別性が富みますが、おおむね3~4歳くらいの成長期に突然「ずるい」という言葉を使い始めることが多いんじゃないでしょうか?
「◎◎のほうが、お菓子が多くてずるい」
「◎◎はようち園だから、宿題しなくていいのはずるい」
「○○ほうが得をしている(逆にとらえると僕は損をしている)」と言いたいときにでてくる言葉じゃないでしょうか?
ちなみに、ずるいことなんて何もしていないパターンが多くないですか?
ほとんど言いがかりかも(笑)
兄弟・姉妹間のけんかで出てくる言葉かもしれません。
しかも、長男、長女などの年上っこから言われることが多いかもしれません。
しかし、それはわけがあるかもしれません。
「お兄ちゃんだから我慢しなさい」
「あなたはお姉ちゃんでしょ。下の子に譲りなさい」
と言われる理不尽さ(笑)
「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」という理由で、「我慢」や「譲ること」を強制することは理不尽ですね。
子供たちに「理由のないえこひいき」や「理不尽な我慢」はしない・させないようにしてますよって親がほとんどでしょう。
それでも言います。
必ず言うでしょう
「ずるい」という言葉を使うことがあるのです。
さらには兄弟・姉妹間のボキャブラリーにも、「ずるい」が登場しまん延するでしょう(笑)
ずるいとうらやましいの違い
「ずるい」と「羨ましい」は、似て非なる言葉です。
「ずるい」の主語は、他人です。
「○○だからずるい」というように使い、相手を非難するときに使うでしょう。
そもそも「ずるい」とは・・・
「人をだしぬいて自分が得をするような、正しくないやりかただ。わるがしこい。」
という意味の形容詞なので、悪いことをした人や行為に対して使う言葉です。
それに対し「羨ましい」の主語は自分です。
「私は、○○だから羨ましいと思う」というように、自分自身の感情を素直にあらわしているだけで、相手を非難する気持ちは必ずしもこめられません。
使うべき言葉は「ずるい」ではなくて「羨ましい」なのです。
ところが、なぜ「ずるい」とすぐに言ってしまうのでしょう。
それは、深層心理の部分で2つの理由があります。
欲望と我慢のせめぎあい
「ほしいものは、ぜんぶほしい」「満足するまでありったけほしい」という、いわば底なしの欲望は、心のうちに誰もが持っている感情でしょう。
もちろん大人でも・・・
そういう視点でみると大人は、「隠し持っている」と言えるのではないでしょうか。
しかし、人間は成長するにつれて「ものには限りがある」こと、そして「誰かの持ち物は取れない」ことを学習します。
食べ物は、食べればなくなってしまう…。
誰かが自分のものだと主張すれば、それを手に入れることができない…。
これを世間では「我慢」といいます。
子供は、「我慢」を覚えなければいけなくなります。
でも、我慢はつらく「ほしい」という自分の意識や気持ち抑えることです。
この時、ココロの中では欲望と我慢のガチバトルでしょう(笑)
たとえば○○さえいなければ、僕は全部ひとりじめできたのに!という怒りがこみあげてもおかしくありません。
誰かを悪者にしなければ怒りを正当化できないのです。
「ずるい」という言葉が、気持ちをピッタリ言い表してくれるのかもしれません。
つまり、「ずるい」は、欲望を正当化し、自分は被害者だと訴える言葉とも言えます。
逆にとらえると・・・
「ずるい」を使い始めた子供は、「ものには限りがある」こと、「誰かの持ち物は取れない」ことを理解した証なのかもしれませんよ。
我慢をしている証なのですから。
競争と承認欲求の芽生え
「ずるい」は悪い人に対して貼るレッテルじゃないでしょうか?
○○が悪いということにすれば、自分は「いい子」になれます。(もちろん、そんな思いどおりにはいかないのですが。)
これは・・・
「だれかの地位が下がれば、相対的に、自分の地位が上がる」
という「人間関係のしくみ」を理解しはじめた証拠ではないでしょうか?
同時に、「勝ちたい」「認められたい」という承認欲求が芽生えてきた証拠でもあります。
「ずるい」という言葉を使って競争相手の足をひっぱり、自分の地位を上げようとするわけです。
ただし、こどもが発信する「ずるい」の場合は気持ちや感情をストレートに表している言葉であり、良くも悪くも、「子供ならでは」の言葉です。
この「子供ならでは」って大事なポイントだと思います。
成熟した大人は「ずるい」をつかわない
対照的に精神的に成熟した大人は、「ずるい」を使いません。
なぜなら、以下のことを知っているからです。
- 「ものには限りがある」のは事実だし「もの」の多くは、新たに作ったり手に入れたりできる。
- 愛情や優しさなどは、人の心から湧き出てくるもので、取りあってなくなるものではない。
- パイの取り合いをしなくても、市場は自分で作り出せる。
- 他人の足をひっぱっても、自分の地位が必ずしもあがるわけではない。
- 本当にずるい(悪い)ことをした人間は、逮捕されたり告発されたり、責めを負う。
「ずるい」という言葉を使う子どもは、まだ、世の中の仕組みをよく知らないから「ずるい」と言うのです。
おとなのずるい
たしかに、大人でも、「ずるい」という言葉を使う人はいますね。
もしあなたが「自分もずるいって言いがちかも…」と心当たりがあれば、ぜひ、以下のことをチェックしてみてください。
- 「物や愛情、ポジションなどは、限りがあってなくなる」と思いこんでいないか?
- 自分には新しく何かを創り出せる力がある、という自信を失ってしまってないか?
- 他人の足を引っ張ったら、自分がうまくいくような幻想を抱いてないか?
そして、他人と自分を比較して「ずるい」と言いたくなったときはぜひ積極的に「羨ましい」という言葉に意識して言い換えてみましょう。
欲しいものを欲しいと素直に思う気持ちは、健全な感情だからです。
ほんと羨ましいよ!っていったほうがすっきりするでしょ?
だって承認欲求があるから羨ましいんですから。
いかがでしたか?
最後まで読んでいただきありがとうございます。
また読みに来てくださいね。