みなさん、こんばんわ。
藤ととちゃんです。
今日の北国は雨模様。
そして、非常に寒い・・・
6月ですが、ストーブを使いました。
すこし、北の地方では峠で雪がふったようです。
この前まで、エアコンだの冷房だの言っていたのが嘘みたいです。
さてと、今日の小話はちょっと真剣・・・
ってかかなり真面目な話です。
藤ととちゃんはナースマン。
医薬品とは仕事上、とっても知識が必要です。
今の医療は薬物療法が大きな選択肢となっています。
そこで、Drとコンタクトをとるときも、対象(患者さんのことですね)の病状の変化をただ報告するわけではなく
薬物調整を図った時期から何がどのように改善(改悪パターンもあります)したかを意見します。
昔は上申なんていいましたよ。
上に申すってね。Drは上でした。
今もそんなときはありますが、医師と経営者との視点を一緒にしてはいけません。
藤ととちゃんはあくまでイーブンで話をします。
ため口で話するとかじゃないですよ。
仕事上のポジションをイーブンにするよう頑張っています。
そんな、仕事で日常的に繰り返す意見交換。
そんな、日常の薬の話です。
もくじ
「命に値段つけるのか」指摘、厚労省が薬の調査取りやめ
厚生労働省は、薬の値段が効果に見合っているかどうかの基準づくりのために計画していた市民意識調査の取りやめを決めたそうです。
厚労相の諮問機関である中央社会保険医療協議会(中医協)の部会に13日提案し、了承されました。
調査は、1年間延命できる薬に公的医療保険からいくらまで支払っていいかを尋ねるものだったが、「命に値段をつける」ような質問内容や調査結果の信頼性などに疑問が出ていました。高額な薬が次々に登場している中、厚労省は薬の値段に費用対効果の評価を取り入れる仕組みを一部で試行的に導入しました。
本格的な実施に向けて具体的な制度の内容を今年度中に取りまとめることにしているそうです。
命に値段をつけるという考え
今回の調査は1年間延命できるかもしれない薬にどのような対価(値段)、費用を見出せますかって話じゃないのかなぁ。
決して一人の人の命に値段をつけるというものではないと思います。
藤ととちゃんはあまり美談を書こうとは思いません。
なぜならば、現時点でも人の命には間接的にお金がかかっているからです。
例えば、ワクチン。
あれは特定の疾患にならないように、またはなっても軽くすむようにという意味で接種します。
小児科領域だと保険適用で全額公費負担(自分が支払う分はゼロ円ってことです)で接種できるものが多いです。
しかし、一定の年齢以上だと公費負担があっても数割分の支払い、または全額自費というものがあります。
ここで、ざっくり聞きます。
なんで、ワクチンを受けますか?
病気になりたくないからですよね?
じゃあ、病気になったらどうなりますか?
比率は低いですが死亡することもあります。
ワクチンしたら死なない(死ぬ確率が低くなる)ってことになります。
これって、間接的にお金で命を買っているのとちがいますか?
命はお金で買える時代?
病気を治す、症状を軽くするときに病院から薬をもらいますよね?
市販の薬を買うことも多いでしょう。
それは自分の命を守っているってことじゃないですか?
そう、身体の能力を回復させるためにお金をだして、治療薬を買っているのです。
身体能力を回復できないと、どうなりますか?
だいたい、弱って死にます。
合併症を併発し、弱ってしまうこともあるでしょう。
今の時代、より高い治療効果が期待されます。
そうじゃないと、「ヤブだ」とか「嘘だ」とか「過剰広告」だとか言われます。
製薬会社はその期待に答えるために製品を開発するのです。
専門知識をもったエキスパートが、膨大な時間と労力、設備をつかって製品開発しています。
その製品をしようしたら、その対価を支払うのは資本主義では当然の原理です。
大体の場合、つかったものにお金を払いますよね?
高級ブランド品がほしいけど、値段が高かったら我慢しませんか?
藤ととちゃんは我慢しています。ファストファッションブランドを酷使します(笑)
でも、高級ブランド品を常に購入できる人はいますよね?
その人たちは罪な人ですか?
医療は非常に公共性の高い分野です。
万人に最低限の医療は提供されなければ、社会の質は悪化したといえるでしょう。
しかし、延命に関しては質の部類になると思います。
質の高いものを望むなら、その対価を支払わなければなりませんよね?
高級ブランド品を買うのと一緒じゃないかと思います・・・
高い物が良質とは限りません。
しかし、その対象が望むものならばその対価にそれ相応の価格があるのが自然じゃないでしょうか?
その価格を知るチャンスが先延ばしになったことは、逆に痛手じゃないかなって思います。
今日の小話はここまで
最後までよんでいただき、ありがとうございます。